また縁があって、大学生がまめの木にボランティアに来てくれました。
まめの木で1日を過ごして感じたことを、それぞれが書いてくれました。
うっかりしていて写真を撮ってなかったのですが、文章だけでも
読んでもらえたらいいと思いここに全文を掲載します。
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M.F さん (女性)
先日はまめの木に訪問させて頂いて、密度の濃い充実した時間を過ごす事ができました、私たちを温かく迎えてくださり、お話などもお聞かせくださってありがとうございました。
源さん、アンナさんをはじめとして、保護者の方や元気な子供達と出会って、とてもいい刺激をいただきました。自然の中で子供達と遊ぶ時間はとても楽しかったです。
・今回、訪問させていただいて一番痛感した事は、自分は自分の枠組みからしかものを見る事ができていなかった、という事です。訪問前に、勉強はどういうシステムで教えているのだろうか、また自由に好きな事をしていいよと言われても、いつかやりたい事が尽きる事もあり得るのではないか、などという疑問を持っていましたが、その考え自体が自分の枠組みにはまっているという事に気付かされました。読み書きができるようになったのは果たして学校で教えてもらったからなのだろうか、と問いかけられた時はっとして、自分は義務教育で何を学んできたのだろうか、義務教育とは何だろうかと改めて自分の受けてきた教育について考えるきっかけとなりました。自然に触れる中で生物について興味を持って調べる(半端ない知識量で感動して沢山教えてもらいました)、ボードで意見を言いたいから文字を書けるようになる、人生ゲームに必要だから計算する、など興味の力の大きさを感じるとともに、学びの本来あるべき姿を見る事ができた気がします。
・子供たちが全てを選択する、それ故自然発生的に活動が生まれる、という過程を訪問中様々な場面で目にしました。私個人の話ですが、言われた事をその通りするという中高時代に慣れた考え方から抜け出せず、大学に入って必要となる自分の行動の選択や意見を持つ、という事への苦手意識に悩んでいて、子供達を見習いたいと強く思いました。そして子供の能動的な活動の材料や刺激を存分に提供しているまめの木の環境や見守る事を徹底する大人の方々の姿は素晴らしいと感じました。
これら以外にも様々な事を考えるきっかけとなりました、ありがとうございました。まだ頭の中で整理のついていないものもありますが、今回感じた事を大切にしてこれから考えを少しずつ深めていきたいなと思っています。ぜひまた訪問させていただきたいです。その時はまたよろしくお願いします。
K.Sさん (男性)
「小学校に通うということは7歳で、ある程度の自由を失っている」という言葉は私の心にとても響きました。これまでそのような考え方をしたことがなかったからです。私はみんながやっていることが当たり前だと思っていて、当たり前を疑わない性格なので、当たり前を覆す考え方がとても新鮮でした。
私にとって、何かの課題に対して自由にしていいという条件が一番難しかったように思います。自由にするということは自分がやりたいことを持っていなければ、なかなかアイデアが浮かばないものです。豆の木の子供たちは毎日、自由な課題が出されているようなもので、それを難なくこなす子供たちが羨ましくさえ思えました。
ただ、私が豆の木の子供たちを見ていて残念に思ったことは掃除の時間です。年長の女の子たちが率先して指示を出して掃除をしているようでしたが、小さい子供たちは遊んでばかりでメリハリがないように感じました。求めすぎなのかも知れませんが、年長の女の子たちを見て、自分も掃除をしなければという考えを持ってくれればいいのになと思いました。社会に出ればやりたくないこと、我慢することがたくさん出てくると思います。豆の木ではそういったことを学ぶ機会が少ないので、掃除が学ぶ場になっていったらうれしいなと思いました。これができれば豆の木の子供たちはより人生を豊かにできるのではないかと私は思いました。
I.Yさん (男性)
豆の木というフリースクールがあると聞いたとき、
自分が受けてきた教育とは全然違うことにとても興味が湧きました。
どんな子が通ってるのだろう
勉強はどうしてるのだろう
どんな子が育つのだろう
特に勉強に関して、
学習はしっかりできているのかと
訪れてみる前は思いました。
しかし訪れてみると
学習の進度も得意なことも人それぞれ
だからその子に合った順に学べばいいとの話を聞き、
また自らの好奇心をきっかけに様々な知識を身につけている子や読み書きを覚えようとしている子を実際に目の当たりにして、自分が完全に公教育で得た枠にはまった考え方をしているのだと実感して少し悔しかったです。
公教育だと、小学一年生にして、いろんな可能性を捨ててしまっている
という言葉が特に響きました。
これまでで得た考え方を改めて見直し、より柔軟に生きていければと強く思います。
Y.Mさん (男性)
僕は、サークル活動として西紀南で活動したり、教育実習に行ったりする中で、自分のキャリアについて意識するようになり、自分が何を軸に選択するのか、どういう人生を歩みたいのかについて思い悩むようになりました。僕は当たり前のように、小中高大と進学し、大人がこうするべきと考えて作られた枠組み、レールに基づいて人生を歩んできました。その過程の中で、いつのまにか正しさ、~すべきにとらわれてしまい、本当に自分がしたいことを考え、選択することができていなかったから、なかなかやりたいことが明確にでてこなくなってしまったのではないかと、今回の訪問で身に染みて感じました。
また、「子どもに学んで欲しいこと」というテーマを、教職課程では頻繁に目にしてきました。僕は、このテーマに対して目標を設定し、授業を作り、生徒との接し方を考え、実践していきました。しかし、興味や関心、発達段階が異なる生徒に対して、集団授業の中で学びを得てもらうことはとても難しく、本当に生徒のためになっているのか疑問に思っていました。まめの木では、
・大人が決めた枠組み、レール
・正しさ
が存在せず、自分がやりたいことを、自分で考えて、実行することが当たり前で、その中で子どもが学びを得ていく様子はとても新鮮でした。このやり方だったら個々人のニーズに合わせた“個”のための教育ができるのではないか、このやり方こそが正しいことやすべきことにとらわれて、自分の選択をできていない人たちの救いになるのではないかと思いました。
世相が目まぐるしく変わる時代への教育に対して何をしたいのか、まだ悩んでいる最中ですが、何が正しいのか、何が正しくないのかなどの枠組みにとらわれるのではなく、“個”の選択を大事にできる場を提供することの意義を非常に感じました。また、自分が“教育”や“人生”に対する違和感も少し晴れたような気がします。ぜひ、また訪問させていただきたいと思います!本当にありがとうございました!
投稿者 :西村 源