あぁ振り返ろうと思って気づけば寝てた今年の年末年始(笑)毎年同じパティーンだわ。。。
Happy new year‼️
昨年は自分にとって、さすが前厄‼️と言わんばかりの波乱そして激動の1年でした。
色々思った事を少しずつ書き留めていたので最後にアウトプットしてみようと思います。今更(笑) ※長文です。
-2019年-
英語の勉強を始めた事。
仕事を辞めてサラリーマンじゃなくなった事。
外国の方と一緒に過ごした事。
フリースクールで働くようになった事。
色々あったな。。。てか、ありすぎた(笑)
頑張ってまとめます。
今年に入って前からやってみたかった英語を勉強し始めた。
本屋で問題集を見て目眩がした(笑)1人では無理だと判断して昔の会社の営業先であったGenさんのとこで教えてもらうようにした。
そしたら、あれよあれよと仕事を辞めることになった(笑)正直なところ辞めようとは思っていたけど、こんなに早く辞めるつもりはなかった(笑)
ただ今思えば、ここがターニングポイントになった。30代最後に真剣にやれというGODからの、お告げなのだろうと自分に言い聞かせた。
同じタイミングでGenさんの「ウチに外国から旅人が来ているから一緒に仕事してみる?」
この一言から全てが始まった。
簡単に言うと日本に勉強や旅行に来ている外人さんがGenさんの自宅に住んでいて、Genさんの作業を手伝う変わりに衣食住無料になるというシステム。
そこで私も一緒に働いた。
丹波篠山の山奥中の山奥、そこに旅人の外人さんと子供達がいる中々カオスな空間だった。。。
今だから言えるけど正直に言うと最初、苦痛だった(笑)
コンフォートゾーン(成長できる領域)だと思っていたが、それを飛び越えてデンジャラスゾーンだった(笑)
何故なら今まで営業の仕事をしてきて口でお金を稼いだきたのに、全く会話ができない。。。挨拶程度の会話しか出来ない上に他は何も知らない。冗談も言えやしねぇ。。。初日に外人、子供達を連れて山に登った。もう波乱の幕開けだった(笑)
会話もうまくキャッチボール出来ないのでストレスマックス!「そこのスコップとって」が言えない。。。喋れずに困っていたらドイツ人のヘナックが翻訳アプリを教えてくれた。その翻訳アプリを使うとデタラメな和訳がいっぱい出てきた。。。おい、ヘナック(笑)
なので途中から使わなくなった(翻訳アプリは「みらい翻訳」がオススメです笑)
営業の仕事を離れてみて、こんなに話が出来ない事が苦痛なのかと痛感した。ただ、これは離れてみないと気づかなかっただろう。
それから数ヶ月、相変わらず喋れないし成長も特に見られない。。。そろそろ心折れかけてきた頃に広島から来てたYOUTUBERのデーヒーという男性から「おーい何、しんどそうな顔してんだよ。もっと楽しんでやればいいんだよー」って言われた。
「はっ!」となった。
なぜなら「楽しんでやる」と言う事はサラリーマン時代に私が人に対して散々言ってきた言葉だったから。まさか人から言われる日が来るなんて思いもしなかった。
大事な事、忘れてた!と思い直した。
そしてデーヒーは英語を楽しめるように私に強烈な下ネタ英語を教えてくれた(笑)その下ネタ英語は今でもしっかりと記憶している(笑)
ただ、これが次のターニングポイントになった。めっちゃ気が楽になった。焦るのもやめた。まずは、この環境に慣れていくようにしようと方向を変えた。
結果、これを機に英語を学んでいくスピードが上がったような気がしている。デーヒーにはマジで感謝している。ここに来て本当に人には恵まれたと思う。困ったなーと思ったら、いつも絶妙のタイミングで助け舟が出てくる。言葉にしなくても察してくれる「非認知能力」が高い人ばかりだった。
あと言葉は分からないなりに一生懸命伝えようとする事が大事だという事を学んだ。言葉が分からなくてもジェスチャーや熱意で伝わる事がある。その当時、英語は褒められた事は無いが、パッション(熱意)とアティテュード(姿勢)が良い‼️とフランスから来ていたグレゴリーが言ってくれた。でも文法は破茶滅茶だけどねー!っと笑われた(笑)声がデカイから間違えたらすぐ分かるらしい。。。恥ずいやないかい!それー!って思った(笑)
ただ今は間違えたり恥をかかないと次に進めないと思ったから気にせず喋り続けた。日本人には珍しいタイプだと言われた。もう言葉を伝えるのに手段を選んでる場合ではなかった。必死のパッチだった。
自分は今まで、これくらいの事は分かるだろう、出来るだろうと自分の物差しで会話したり判断したりするが多々あった。そのせいで嫌な思いをした人もいたと思う。それにも気づく事が出来た。
そして夏前に英語を少しだけ楽しめるようになった頃、Genさんから「フリースクールのスタッフをやってくれない?」って言われた。Genさんの自宅は「まめの木」というフリースクールも経営されていて不登校の子達や敢えて、この場所を選んで来ている子達が通ってる。
なぜか昔から子供には割と好かれる。それをアンナ(Genさんの奥さん)が見てくれていたらしく私にスタッフやってもらおうよーって言ってくれてたらしい。嬉しかった。勉強もさせてもらえる上に働かせてもらえるなんて今の自分にとって最高の環境だから。アンナにも言われたけど「本当に子供いないの?」って言われたが本当にいません。これも今まで数百回と言ってきたなと思い出した(笑)
これもターニングポイントになった1つの出来事だった。
ただ今まで結果(数字)が全てのような世界で生きてきた自分にとって「答えの無い仕事」は戸惑う事が多かった。
保護者の方とのご飯会の時、「スタッフに何かこうしてほしいとか、ありますか?」とストレートに聞いた事もあった。正直、どう思われてるか不安だった。ただ保護者の方にも恵まれて「今のままでいいよー」と言われたが、何か言ってくれた方が助かるんだけどな、、、と思った。なんせ何が正解か分からないまま働いてるのだから。。。ただ問題が起きれば皆で、きちんと話あえる環境なので、このメンバーなら、その都度、話し合って解決できるだろうなという安心もあった。良いチームの一員にさせてもらった事は本当に感謝しかない。
(2) に 続く
投稿者 :西村 源