2年程前に、篠山の不動産屋さんに、「げんちゃん、農地いらん?」って尋ねられました。
私の育った実家は借家で、ちょうどこの1ヶ月前に大家との話し合いがこじれ、出なければならなくなったところでした。棚田とその上にぼろ家があると言われて、少しワクワクしながら現場に向かいました。
家は、完全に森に飲み込まれていて、家の前はジャングルになっていて、外の世界が見えない状態でした。屋根は雨漏りしているし、床はブチ抜けていました。中に入ると、天井はアライグマが寝ぐらにしていたらしく、あちこちが食い破られボロボロ。完全にお化け屋敷でした。
友達の不動産屋さんには「鉄砲向けられて、50万って言われても嫌やわ!」と言われ、別の友人には、「あんなんしか無いのか?」と言われました。
かなり悩み、妻とも長い時間話し合いました。
でも、今までの自分たちの生活を考えた時、そして今後どういう場所で、どう子供達を育てたいか考えた時にここが最高の場所になると感じました。
不動産屋は、持ち主が「買うてくれる人がいるなら、なんぼでもいい」と言っていると言いました。
なんぼでもいいって、なんぼやねん!
と思いながら、いろんな業者に水道や電気を引き込んだり、屋根を修理した場合の見積もりを頼みました。持ち主と値段の交渉をする時に、この家がどれだけ大変な状態か、値段を交渉する上で必要だと思ったのです。
大阪で持ち主のおじいさんと会うと、開口一番、「日本の男性の平均寿命は80です。私は今78です。子供や、孫に私のいらないものを残したくない。」と言われました。「私は、お金はいりません。ですから、私がいくら欲しいかではなく、あなたがいくら払えるかで結構です。」と・・・・
ドキドキしながら、「では100万でどうですか?」と訊くと、
二つ返事で「ではそれで」と言ってくださいました。
結局、見積もりはお見せすることすらありませんでした。
家の改装に取り掛かるために、大工さんを探しました。友人の大工さん2人に相談しましたが、どちらも仕事をしながら、何日入れるかわからないし、どれだけ傷んでいるかわからないからと尻込みをされました。
途方にくれました。
修理して移り住むまでの、時間の制限があったこと、工事の規模の大きさがとてつもなかったこと、そして自分の体にも少し不安があったことから、手伝ってくれるプロが欲しかったのです。いくら購入費が安くても、修理ができなければ、どうにもなりません。
そんな時、家の話が来る1ヶ月前に、たまたま紹介されていたミュージシャンの高橋建一郎さんが「大工もしてますって」言われていたことを思い出しました。藁にもすがる思いで連絡を取りました。
現場を見に来てもらい、屋根の上で、できますか?ってきいて、「できるよ。」って言ってもらえた時の嬉しさは言葉では言い表せません。
この時は、まだこの人がどれだけすごい大工さんか理解していませんでした。
まだ30代だけど、20年の大工経験を持つ匠でした。次々に出てくる家の難問や僕がお願いする無理難題を嫌な顔する事無く、超人的な集中力で終わらせていきました。真冬の1月や2月に僕が英会話教室のレッスンを夜10時に終えてから現場に行くと、まだ骨組みしか無く、外と同じ(というか外)気温の中で作業している建さんがいました。
その建さんと、数え切れないウーファーの人たちや友だちの助けで1年半かけてこの家とその周りの敷地を生まれ変わらせることができました。
家の敷地には、3000坪の耕作放棄地があり、裏山も使うことができます。
これから、この場所に、いろんなワークショップスペースや果樹園、キャンプフェスが出来る場所、アスレチックやツリーハウスなどをどんどん造っていきます。その中で、子供達が本当に子供らしく、とことん遊び、そしてたくさんの人たちと生活することで学べれば、世界レベルの教育ができると信じています。
投稿者 :西村 源